穂高 北尾根/北条=新村ルート

8月10日 前穂高岳・北尾根~四峰正面壁・北条=新村ルート

曽山L・徳永(記録)
今回の合宿は八月七日から八月一一日の行程で行われ、初日と最終日を除く期間が登攀日となった。初日と二日目は、極めて晴天に恵まれた登攀日和となり、さらに待ち時間無しという好条件の下で、滝谷ドームの三ツ星ルート--ドーム北壁右ルート、ドーム西壁雲表ルート、ドーム中央稜--を登ったのであった。しかし、二日目の夕方から雲行きが怪しくなり「明日(三日目)は登れないんじゃないですかね?」と、表面上は残念さを装うような言葉を皆に発しながらも「明日は一日中ゴロゴロできるな」という、それに相反するウレシイ気持ちが沸いていたのであった。
三日目は、初日目や二日目ほど行かないまでも、まずまずの天候となってしまい、昨日私が期待していたそれに恵まれず、又「山の天候は予測できない」という平凡なことを認識していなくて、その誤解の結果を私は引き受けることになってしまった。
その日の目的のルートは松高ルートで、メンバーは曽山監督と私の二人であった。六時頃に涸沢のベースを出発して、北尾根五、六のコルを経由し、奥又白谷へ下り、四峰正面壁を目指してひどいガレと雪渓を登り返したのであるが、我々の前に2パーティーくらいホキなそれが先行していてガンガンと石を落とすので、しかもあまりにも落とすから、我々の身を案じ見るに見かねた曽山さんが「石を落とさないでもらえます?」と言ったのに対し、彼等は「わかっちゃいるんだけど云々」と、愚にもつかぬ言い訳をしていた。それを聞いていた私は「バカな奴等だなぁ。一言謝れば済むこと--勿論、謝って済むものではないが--なのに。それより、曽山さん、キレてないだろうか?」と思った。
彼等の落石の被害を食らわず、無事に松高ルートの取り付きにたどり着き、先行のホキなパーティーがタラタラ準備している隙間を縫って、我々は素早く準備し「先に行きます」と爽やかな顔をして言いながら、九時半頃、先にそこへ取り付いた。
3ピッチほどある、草付き混じりの、III級程度の凹状ガリーを、1ピッチ目は私がリードして『つるべ』で登った。しかし、2ピッチ目を終了したとき、このルートが松高ルートではなく、北条=新村ルートであることが判ったのであった。つまり、我々は間違えていたのだ。ここまで来たのであるから、松高ルートより少し難しくなるが、それはとても良いルートであると曽山さんが言うので、そのまま進むことになった。3ピッチ目を終了し、ハイマツテラスに達すると、次に核心部のハング帯である。そこはグレードにしてIV+、A1。フリーでは5.10ほどあり、曽山さんが人工でリードした。彼の人工の技術は見事なもので、それが上手くない自分にとってかなり勉強になるものであった。一方、私はセカンドということもあり、フリーで行くことにしたのであるが、岩に取り付き始めて1メートルも登らないうちに、左足を乗せているホールドが欠けてしまい、ぶら下がってしまったのだ。おまけに左腕を擦り剥いてしまい、急きょ人工に切り替えた。しかし、そのピッチはそれに変えてもかなりの難しさで、かなり苦戦していたが、なんとか登れたのであった。五ピッチ目はIV級ほどあり、私がリードしたのであるが、ここはトラバースしなければならず、それが得意でない私にとっては、またもやかなりの苦戦を強いられた。一応、核心部を突破できて少しホッとしていた。6ピッチ目は曽山さんがリード。7ピッチ目は私がそれをして無事に終了点に二時半頃たどり着いた。登攀終了後は「自分もリードで行けた」という満足感を抱きながら、ベースのある涸沢に向けて下って行ったのであった。

 



1999年8月13日 滝谷ドーム~北壁

大林L・広島・天津(記録)

全日程を雨に降られた不運の合宿だったが、二日目には滝谷へ初見参して“メッカ”の雰囲気を楽しんだ。

八月一一日水曜夜、新宿で大林さんと待ち合わせ急行アルプスで出発。車内ではあまり眠れず、七時半に上高地を発って涸沢まで登った初日はだいぶ辟易した。休憩して腰をおろすとウトウトしてしまう感じで、特に本谷橋からの登り返しと最後の石段ではリュックの重さが肩に堪え、同時に冷たい雨も降り始めていた為、前半組の樋口Aさんと広島さんが万全なテントで迎えてくれたのは嬉しかった。涸沢着一四時半。夜は前半組が満喫したクライミング談を肴に盛り上がる。

八月一三日、五時出発でいよいよ滝谷へと向かう。南稜のアプローチを素早く抜け(他の二人が速すぎるので待たせてしまったが)、松浪岩の横からC沢左俣を下降してドーム西壁の取付点を目指した。

そう、浮石で埋まった超ガレたルンゼを神経を擦り減らしながら下ったのは、西壁の歯科大ルートを登攀予定のためで、結局は取付テラスに乗るまでの登り口を見つけられず断念。同ルンゼの落石と闘いながら稜線まで登り返し、天候も怪しい霧が拡がってきたので、北穂南峰を経てすぐ下に見えたドーム北壁へと変更した。(この選択は正しかったと判断できる。翌日の屏風岩登攀に備えての最終チェックとなり、また一六時過ぎからは雷雨となったのだから)

テラスへ着く直前のトラバースが悪かったが、北壁の岩は堅くハーケンもベタ打ち。一本目、右端の北西カンテを大林さんのトップで登る。細かいホールドのカンテ左端から(途中で少し人工)、2P目はチムニー右のフェースをA1で抜け(私はセカンドとはいえ、残置シュリンゲが切れて落下を体験)、上部は浮石だらけの樋状をフリーで登り“ドームの頭”へと達した。実はルートを間違えていて、1P後のビレイ点を「右ルート」と同じ所にとってしまった為、順番待ちとなり約三時間を要した。

二本目、広島さんのトップで「右ルート」を登る。1P目のフェースを広島さんはフリーで越えようと奮闘したが、途中で諦めA0で。私は最初からA1で、間隔がやや遠目のハーケンラインをゆく。2P目も人工による直登だが、私が登っているとき降り始めた雨はここで強さを増し、雷鳴がすぐ近くの上空に響いて危ない状況。大林さんは2P目を登らず、私たちも上へ抜けずに懸垂で降りてしまい終了した。

下山行程では、来るときにイヤだったトラバース箇所を避け、手前のルンゼを抜けて北穂南峰まで上がり雨の中を一八時半に涸沢BCへと帰還。

初めての滝谷で高度感のプレッシャーを受けず又テラスに荷物を置いて登れた為、「三ッ峠ゲレンデみたい」というのがストレートな印象だが、そのアプローチの悪さと時にボロボロの岩質はやはり“本場”の香りを漂わせ、次回は二尾根や四尾根を攻めたいと強く感じたのでした。

〈コースタイム〉
8/12  上高地発7時30分~横尾10時00分~涸沢BC14時20分
8/13  涸沢発5時00分~松浪岩基部7時15分~ドーム北壁取付10時30分
北西カンテ 11時00分~13時30分
右ルート 14時00分~16時30分
涸沢BC着18時30分


投稿する

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)