■日時 12月30日(土)〜1月2日(火)
■場所 五竜〜唐松
■目的 縦走
■メンバー タナミー(記)、Yone、some2
■タイムテーブル
12/30
8:50アルプスだいら > 10:00小遠見山 > 12:10大遠見山 > 14:30幕営地(2190m)
12/31
4:00起床06:50 > 09:00白岳 > 11:40大黒岳 >15:30唐松岳頂上山荘
1/1
05:00起床09:30 > 12:30丸山ケルン > 16:00幕営地(2170m)
1/2
03:00起床08:00 > 09:10第3ケルン > 10:30八方池山荘
■記録
12/30 1日目
白馬五竜エスカルプラザ行きの夜行バスに乗り込み、06時頃に到着した。スキー場のベースプラザでゴンドラが動きだす08:15までゆったりと過ごした。
ゴンドラに地蔵の頭の下まで上げてもらい、スキースノーボード客ばっかりのゲレンデを後にした。

圧雪されたスキーゲレンデを登る 意外なほどに傾斜がある
遠見尾根を登る間は、風が支尾根のわりに弱くなく、時折の突風に体が振られることもあった。こんな経験もはじめてだったが、倒されることもなく歩いて行った。

遠見尾根
五竜岳のピストンだろうパーティも含めて4パーティが入っていたようだ。ピストン組は大遠見山あたりにテントを張っていた。テントの中に入れたら、風に吹かれることもないだろうなと少し羨ましかった。
黙々とそれぞれのペースで歩き、14:30を回る頃に西遠見山の手前に、よき傾斜のスペースを見つけて幕営した。
スコップで掘り返し整地していたら、ガスが晴れ渡り、五竜岳の岩岩した稜線が見え、左手には鹿島槍の北壁がよく見えた。この景色を観れただけでも来た甲斐があったと感じた。

五竜岳の稜線
テントに入り、天気予報をチェックしてみれば、2つ玉低気圧が午前中に過ぎていく予報だった。
安全をとれば、五竜岳のピストンにして下山になるが、主稜線の縦走をすることを目的に来たので、五竜山荘から南下する五竜岳への登頂はせずに、主稜線を北上して唐松岳に向かうことにした。五竜岳までの往復は少なく見込んでも2時間。行動時間が限られる冬山では、その2時間のために唐松頂上山荘まで辿り着かない可能性があった。
12/31 2日目
起床して空を見上げれば、星が見え、眼下に街の夜景が広がっていた。予報は午後から荒れることになっていたが、そんな気配は感じなかった。
西遠見山、白岳への傾斜を登っている6、7人を見つめながら、出発準備をした。なかなかの傾斜だったので、先行者がいてくれたことはありがたかった。

白岳への斜面
06:30に出発したにもかかわらず、バケツ状態になった踏み跡があったにもかかわらず、白岳に着いたのが09時になってしまった。やはり全装備を担いでの登山は多くの時間がかかる。
白岳の山頂から唐松岳への主稜線を、はじめて見ることができた。長いとは感じなかったが、傾斜がきつく岩が露出しているところもあり、本当に進めるのかなと思わせた。

五竜から唐松への主稜線
草が露出しているところと雪のみのところの境目を進もうとしたが、注意された。雪庇というと張り出した軒先を連想するけれども、東側斜面にべったりとついた雪壁も雪庇なのだ。
その境目はところどころで、割れ目や深い穴が開いていた。つまり雪同士の接着力で東側斜面に張り付いているだけで、人の重みでも崩れるかもしれないのだ。
風の強さを感じながら、露出した夏道をしばらく進んでいくと、ルート取りをしくじったようだ。山の腹にいつのまにか進んでしまい、稜線から離れてしまったのだ。軌道修正しようとするころには雪が膝上まで積もったブッシュ帯になっていて、稜線まで上がるのに苦労をした。

すぐにホワイトアウトとなった
そんなことをしていたら、ホワイトアウトしていた。正午を回り、悪天がやってきたのだ。視界が全くないほどのホワイトアウトではなかったが、視界があるうちに進むべき向きを頭に入れながら進んだ。
大黒岳を越えてからは、鎖のある岩場だった。雪から岩に変わるとアイゼンワークの違いで進む速度が遅くなる。30m先が見えないような風雪になっている中ではさすがに寒かった。

唐松への主稜線の岩場
ルートの印を見失い、ルートを探している最中はとてもヒヤヒヤした。こんなところに留まるのは、いかがなものか。こんなときのYoneさんの突破力はとても頼りになった。ルート印を再度見つけたときは、安心感がでた。
唐松頂上山荘のシルエットがホワイトアウトした景色にぼんやり見えたときは、嬉しいものだった。
小屋の東面の雪がこんもりを盛り上がった部分を深く彫り込み、ブロックを積んで四方を囲ってテントを張った。16時前からの幕営地作業だったので、テントに潜り込めたときには真っ暗になっていた。ガソリンストーブの火で温まり、天気予報を調べながら明日以降の行動予定を話した。
翌日1/1は一日中風雪がある視界の効かない天候だと予報が出ていた。八方尾根を下るわけだが、丸山ケルンまで間違い尾根に入らないか、丸山ケルンから八方池山荘までの太い尾根を迷わずに正しい方向に進めるか、なかなかシビアな行動になると予想できた。
就寝する前にテントとブロック壁の間にたまった雪をスコップで掻き出した。この経験も初めてで、風の冷たさのせいか、テント内外の寒暖差のせいか、呼吸がし難いながらの作業だった。その積り方だと夜中1度は雪かきが必要だった。
1/1 3日目
起床してテントの壁をツンツンとしてみたら、70cmあたりの高さまで雪が積もっていた。夜中に一度掻き出したにもかかわらず、ここまで積もるものかと思った。
朝食を食べて、テントを畳むにも大量の雪を書き出す作業があり苦労した。こうなるとテントを収納袋に収めるのも無理なので丸めてザックに詰めることになった。

テントを畳む前に雪を掻き出す
出発するときになっても風雪は止まず、ずっとホワイトアウト状態だった。山荘にある道標をたよりに八方尾根を下り始めたが、いきなりの核心があった。降りる道が見つからなかったのだ。登山道だから歩いて降りれるだろうと考えていたのが甘かったようだ。結局は切れ落ちた岩壁の傾斜が緩い部分を選んでクライムダウンになった。
その後の細い稜線も想像をしていなかった核心があった。雪庇とホワイトアウトした空の境目は、まったく見分けられないだ。そんなときにはロープを出して確保をとればよいことすら思いつかず、雪庇に近づきすぎて注意された。
ホワイトアウトした中で下る八方尾根は、なかなかのスリルがあった。自分たちが降りているこの稜線は、間違い尾根でないか、とヒヤヒヤしながら降りていき、丸山ケルンについたときは、暴風雪の中でもホッとため息がでた。
丸山ケルンより下は、広い尾根が続くのでまだ気が抜けない。というかここからが核心だった。行く手に目に見える稜線がなく、スキーゲレンデのごとく雪原が広がっていたからだ。
Yoneさんが方向を決め、some2くんがラッセルで進む、これを繰り返していったが、14時を回った頃にGPSを頼りに現在地を調べたら、八方尾根から外れていたことがわかった。上樺尾根と下樺尾根のつくる広いルンゼを降りていたようだった。
ルンゼを登り返して八方尾根に戻ることになったが、胸を超える積雪をラッセルしていくことがかなり重労働だった。やっとの思いで八方尾根に戻る頃には明るみがなくなり、気温が下がってきているのがよくわかった。その上に風速20m/sを超える強風はかなりしんどかった。
時刻的にもう行動できないことになったので、風の強いなかでテントを立てたが、この経験もはじめてだった。ポールをテントのスリーブに入れて立てた途端、風にあおられて飛ばされそうになるのを必死に抑え、ペグを一つ一つ固定していった。
テントに入っても、風がテントが壊れるのではないかと思うくらいひしゃげたので、気が休まらなかった。前日までの2泊のテント内での安堵感はまったくなく、風に直接吹かれなくてもよいことが救いだった、というくらいだ。
天気予報を調べると翌日1/2は午前中に晴れ間が見えるが、その後翌々日1/3いっぱいまで荒れる予報になっていた。1/2午前中に降りられなかったら一日は停滞になりかねない見込みだった。そうなると予備日2日を消費することになるので、燃料と食料計画を見直しをした。お酒とつまみを楽しんで夕食を食べて眠りにつく心理的余裕はなく、夕食だけをそそくさと食べてそうそうに寝袋に入った。
1/2 4日目
風が弱くなったら、もしくは風が息つく時間が増えたら下山をしようということで、03時におきて外の様子を伺いながら待機をしていた。明るくなった06:30すぎに風が息をつく時間が増え始めたので、テントを畳み行動を開始した。
といっても幕営地から第3ケルンまでの稜線はホワイトアウトした中では見分けがつかず、一度は唐松沢に向かう斜面を下ってしまった。GPSで現在地を確かめ始めたころにガスが晴れ始めて、右手上側に第3ケルンに向かうであろう稜線が見えた。

八方尾根へと登り返す
登り返しをして元の位置に戻ったころには、ガスが晴れて第3ケルンと八方池の雪原が見えた。その景色はとても綺麗だった。ただ風景が綺麗だったのかもしれないが、降りるべき方向が明確になった安心感がより綺麗に見せたのかもしれなかった。
第3ケルンに近づいていくにつれて、第2・第1ケルンが見え始め、降りるべき道がわかってうれしかった。第1ケルンをすぎて、リフトが見えたときは、もう感激ものだった。これで今日中には帰れる!と安心した。
八方池山荘の安全地帯についた。緊張感が解け、3人とも饒舌になっていた。山行の振り返りをしながらスキーゲレンデを降り、ゴンドラに乗って地上まで降りた。
結果的には、五竜岳も唐松岳も山頂に行けずじまいだったが、内容的には充実したよい山行だった。