槍ヶ岳

曽山(L)、内田(記録)

西暦2000年。今世紀最後の年が、今まさに始まろうとしている。遠く雲海の彼方からその年最初の生命の光が、少しずつ、少しずつ、その顔を覗かせ始めた。夜の闇に、重々しく、厳粛に鎮座していた山々たちもその光を受け、ようやくに目覚めたようだ。そして、まるで自らの美しさを誇示するように、美しき雪化粧をほどこした己の姿を我々に晒しはじめた。南岳の側壁は、真紅のベールに包まれている。すばらしいまでのモルゲンレートだ。ありとあらゆる言葉をもってしても、いま、目の前に繰り広げられている光景を表現することは不可能であろう。ただ、ただ、感動した。まだ、日も明けやらぬ午前4時過ぎ。松本からタクシーを乗り継ぎ坂巻温泉へ。正月の連休を利用しての登山者ですでにあたりは大変な賑わいを見せていた。

ここで装備を整え、いざ出発、不気味なほどに静まり返ったトンネルを抜け、一路横尾山荘を目指した。途中、明神東稜隊の三名と袂を分かち、上高地に到着した。ここへは、GWと夏に一度ずつきたことがあるが、そのときの騒々しさが嘘のように静まり帰り、ハリウッドのウェスタン映画に出てくるようなゴーストタウンのようであった。やがて、日も高くなり、明るく輝き出した銀世界の中を、粛々と進む。ときおり、人の気配がして、登山者とすれ違いはしたものの、それ以外は、自分たちが雪面を踏みしめる音しか聞こえない。静かだ。そのあまりの静かさに、言い知れぬ一抹の不安を感じながらも、昼過ぎには横尾に到着。冬期小屋にテントを張り、本日
はここまでとする。

翌朝、ヘッドランプの灯かりをたよりに小屋を出る。雪深い樹林帯を、ひたすら歩いて、横尾尾根の下部まで辿り着き、そこから急斜面を1時間ほど、上り切ったところで尾根線に出た。P2とP3の鞍部であったと思う。あたりはすっかり明るくなっていた。ふと見上げると、雲ひとつない晴天。紺碧の空は、高く、高く、どこまでも澄みきっていた。今日一日、なにもかもが順調にいくような、そんな気がした。最初のうちはハイマツ帯に体をとられ、ちょっと嫌な気もしたが、森林限界を越えてからの尾根線は最高な気分。歩くことに対する疲労感をまったくといっていいほど感じることなく、標高を稼ぎ、横尾の歯といわれる核心部の取り付きに到着した。ここでザイルを結ぶ。難易度的には、そうたいしたことはないとガイドブックには載っていたが、アイゼンをつけての岩場での行動に不慣れな自分には、多少の難しさを感じてしまったというのが本音であろうか。ちょこっとだけ、ビビった。核心部を抜けたところで、本日のテントサイトを探し始め、P8から天狗のコルに向かうちょっと手前に、最適な場所を見つけたのでそこで幕営することにした。夜、暇つぶしにつけていたラジオからは、やたらと”Y2K”とか”ミレニアム”といった言葉が繰り返されていた。そういえば、数ヶ月前から日本でも騒がれ始めた2000年問題も、今日、明日が峠なのかと思い出した。コンピュータ関係の仕事を職務としている自分にとっても、当然のことながらひと事ではなく、一抹の不安感が脳裏をかすめたりもしたが、いまここで心配してもしょうがなく、もし何かあったら帰ってからゆっくり考えようと無責任にも思い込み、強風が天幕を捲り上げる音に耳障りさを感じながらも眠りについた。99年はこうして暮れた。

元旦早朝。新しい躍動感を体全体に感じつつ、新年の第一歩を踏み出す。天狗のコルからは稜線まで一気の登り。ところどころスパッと切れ落ちた雪稜を、右や左からの突風に体ごと吹き飛ばされるのではないかとビビリながら、一歩一歩、確実に踏みしめていき、2時間ほどで稜線に出た。稜線から、いま自分が歩いてきた尾根線を目で辿って見ると、それが美しいシルエットとなって、遠く向こうに霞んで見えていた。ここまでやってきた充実感を胸に、進路を北へ、槍ヶ岳のピークを目指す。途中、大喰岳で荷物をデポし、空身で穂先へ、頂上からは360度の大パノラマが楽しめた。驚くことに、こんな時期にも関わらず小屋が営業しており、”おしるこあります”という入り口に掲げられた看板に、思わず唾が出てきた。しかし、空身でここまできてしまったため、二人は当然のことながら一文無し。大喰岳まで小銭を取りに往復する気には流石になれず、泣く泣く諦めることに、本山行中、一番残念に感じた。大喰岳からは西尾根を辿って槍平まで一気に下った。槍平の天幕場は、ずいぶんと混んでいた。最終日、いつもよりちょっとだけ遅めに起きて出発。澄みわたる青空のもと、新穂高温泉へ向けて出発。昼前には、余裕で到着した。今回の山行は、全日程とも非常に天気に恵まれ十分に楽しめた。また、ルート自体も特別に難しいところもなく、格好のトレーニングになったと思う。ただ、天気が良すぎて、ちょっと肩透かしを食らったという思いもある。一日ぐらいは吹雪の中の行軍をしてみたかったと思うのは生意気だろうか?本山行をFast Stepに、これからはどんどん経験を重ねてい
こうという決意を胸に秘め、家路についた。 以上


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