槍ヶ岳 横尾尾根

■日時 2015年12月29日(火)〜2016年1月4日(土)

■場所  槍ヶ岳(上高地→横尾→横尾尾根→槍ヶ岳→新穂高温泉)

■目的  アルパインクライミング

■メンバーyoneさん(L)、曽山さん(S)、山崎(記)

■タイムテーブル

12/30(水)釜トンネル入り口7:30→河童橋10:00→明神11:00→徳沢12:00→横尾避難小屋13:30

12/31(木)横尾7:00→8:00 3ガリー取り付き8:30→10:00 3,4のコル10:20→P6 14:30

1/1(金)P6 7:30→9:30横尾の歯11:30→主稜線15:30→中岳手前の幕営場16:00

1/2(土)中岳手前の幕営場8:00→中岳9:40→大喰岳11:00→槍ヶ岳避難小屋13:00

1/3(日)槍ヶ岳避難小屋8:00→飛騨沢下10:15→槍平11:20→新穂高温泉15:00


 

■エントリー

私は入会後半月も経っていなかったが、集会で「横尾尾根は初心者向け」と先輩方が話しているのをお聞きし、気軽な気持ちでこの山行へのエントリーを希望してしまった。今回の計画は予備日を含めて4泊5日だったが、自分は雪山での3泊程度の縦走や日帰りのアイスクライミング、残雪期の雪稜歩きの経験は少々あったものの、北アルプスの雪稜を厳冬期に縦走するのは初めてだった。本当なら白毛門でラッセルトレをしてから参加の是非を判断していただくはずだったが、暖冬で積雪が少ないためにラッセルトレができず、西黒尾根での雪上歩行の確認のみとなった。

自他共に「本当に山崎は横尾尾根に行けるのか」と疑問視している中で、「なるべく新人にもアルパインクライミングへの門戸を開きたい」「ベテランの先輩二人なら新人一人が崩れても何とかなるだろう」という計算の結果、ぎりぎりのところで参加を許可していただいたのであった。

■12/30(水)晴れ

沢渡の駐車場からタクシーで釜トンネル入り口へ移動。釜トンネルの前で入山届を行い、身支度をする。

このときは無風だったが、手袋を舗装路に置いた事をまず先輩に注意された。「今は風がないけれど、普段から手袋をその辺に置く癖がついていると、風が強いところでも無意識に置いてしまう。常に手袋は紐で腕にぶら下げるか懐に入れること。」

朝起きてから歩き出すまで、先輩たちは朝食を食べている気配がなかったので私も何も口にしていなかった。だが、歩き出す前にエネルギーを摂りたいので私ひとり行動食を食べていたら、「そういうのは歩きながら食べること」と注意された。どうやら先輩たちは朝あまり食べないタイプらしい。そうと知っていれば、タクシーの座席に行動食を持ち込んで自分だけでも食べておけばよかった。どうやら私の一挙手一投足が緑的にはNGのよう。ある程度は覚悟していたのだが、突っ込みどころが満載だ。

釜トンネルから横尾まではお馴染みの道をひたすらつぼ足で歩く。紺碧の空に奥穂~前穂など白い頂きが眩しく聳えている。

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yoneLはロープやコッヘルがある上に食材も多く歩荷してくださっているようで、ザックが半端なく重そうだ。それに比べて私の共同装備はスコップとポールとフランスパンだけで、申し訳なく思う。

横尾の避難小屋には数パーティーがおり、小屋前に幕営しているパーティもいるが、蝶ヶ岳に行くのか横尾尾根をめざすのは私たちだけのようだ。夏用のトイレの前に防雪用の板が取り付けられ、全体の半分が使用できるようになっていた。また、小屋の前に水が流れているので、水を雪から作る必要がないのが有難い。

夕食までの間、yoneLからロープワークの理論を教わる。なぜそこでその結び方を選択するのか、Q&A形式で応答しながら理由を理解するにつれ、今まで漠然とやっていた行為が違って見えてきた。

夕食はアボガドとひじきのサラダにソーセージや野菜がたっぷり入ったトマト鍋。yoneLお手製の大きなローストポークとチーズの塊をスライスして、フランスパンのスライスに載せた前菜もおしゃれで美味だ。以前所属していた山岳会では縦走のときは軽量化を重視した味気ない食事だったので、これだけグルメな食材を歩荷してくださったyoneLに感謝する。

私は今回の山行の燃料であるホワイトガソリンを見るのは初めて。曽山Sが慣れた手つきで燃料の詰め替えや点火をしてくださる。ポンピングするときの火の勢いにビックリしたが、寒冷地でも安定した火力が得られるので頼もしい。

■12/31(木)曇り

アイゼンを履いて横尾を出発。上空は青空だが、周囲の山並みにはガスがかかっている。横尾の橋を渡って涸沢方面の登山道を進んで行くと、左に屏風岩が聳えている。

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3のガリーは途中雪崩の跡のデブリがあったが、トレースがあったお蔭でラッセルはしないで済み、1時間半ほどで一気にP3とP4のコルに到着。

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ここで曽山Sから、私のアイゼンは靴底の後ろに空間が余っていて、きちんと調整できていないとご指摘を受ける。コバのビンディングはしっかり締めていたためか、今までアイゼンが外れたことはなく、登山用品店で調整してもらって以来8年近く何の疑問も持たずにそのままでの状態で過ごしてきた。だが緑の先輩方にすればあり得ない状態とのこと。見かねた曽山Sがその場で調整してくださる。またもダメ出しされてしまった。

P4へ向かう樹林の尾根の急登ではフィックスロープは使わず、アックスや、時には立ち木につかまりながら攀じ登る。森林限界を超え、雪庇に注意しながら尾根上を進んで行くと、次第に風が出てきて、雪も降ってきた。

P5ーP6

尾根が広くなり、段々トレースが見えなくなってきた。雪の下にトレースがあり、その上を歩くと順調に歩けるが、外すと途端に潜ってしまうのでトレースを探りながら歩く。

午後2時頃、P6の尾根から少し右の谷側に下ったところに幕営する

スコップで雪を削り、掻き出して平らにしてブロックを積み上げ、竹ペグとスノーバーで張り縄を固定する。前の山岳会では割り箸を十字にして紐でぐるぐるにしたものを予め作っておいたので、勝手が違う。やっとテントの中に入れた頃には、風雪の勢いが強くなり、なかなかトイレに行く勇気がでなかった。この雪、風では明日はトレースも消えているだろう。

二日目の夕食は、肉みそと「まるでお肉」を使った本格的なキーマカレー。サイドディッシュのキノコのアヒージョ共に美味であった。ローストポーク、チーズ、フランスパンの前菜も健在だ。

■1/1(金)晴れ

朝起きると晴れていて、風も落ち着いていた。ワカンを着けて出発するが、アイゼンをアイゼン袋に入れていたらダメ出し。横尾の歯ではアイゼンを着けることが予想されるから、すぐに取り出せるよう袋には入れるなとのこと。今まで「アイゼンは必ずアイゼン袋に入れる」のが当然と思っていた私は驚いた。登って行くと見事な景色が目の前に広がった。白銀の北穂、奥穂、前穂のパノラマが間近にばっちり見えるのは横尾尾根ならではだ。

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この日は「横尾の歯」と言われるナイフリッジを通過する。リードのyoneLの負担を減らすために玉ねぎ、キャベツ、さつまいもなどの野菜の入った茶色い袋とローストポークなど肉類の入った袋を渡された。他人事と思っていた重い食材が自分のところに「来た~!」という感じだ。

間もなくP7とP8の間にある「横尾の歯」に到着。アイゼンに履き替える。yoneLが岩に付いた雪を払い落としながら慎重にルートを見つけて行く。続いて曽山S、私の順番で2ピッチに分けて進む。2ピッチ目の出しは一旦下降するが、足場が遠い。クラックに左手をジャミングし、少しずつ重心を下にずらしながら切り抜けた。

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難所を通過しているときには緊張していたせいか疲れは感じなかったが、横尾の歯を超えて平凡な下りになったときに、どうもスタスタと歩けない。その様子を見て先輩方が「バテる兆候」と判断し、私の荷物を軽くして頂いた。そのおかげで私の調子は持ち直したが、ラッセルをしてくださっている先輩の荷物が重くなるとパーティとしてのスピードは上がらなくなってしまう。

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横尾の歯を抜け、天狗原からの合流点を過ぎても、槍穂の稜線に出るまで随分長く感じた。

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(撮影 曽山S)

 

 

 

 

 

主稜線に出たのが15:30。

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時間切れのため30分位中岳方面に進んだところにある東側の緩斜面の雪を削って幕営した。

 

テントの中でyoneLに「横尾尾根に参加するにはちょっと早かったね」「もっとトレーニングして体力つけてから来るべきだったね」と言われた。確かにラッセルも貢献できていないし、ちょっと重い荷物でペースダウンしてしまった自分は情けない。それは認める。とはいえ、つい「でも、横尾の小屋までならともかく、あんなに重い食材を縦走に持って行くなんておかしくないですか」と反論してしまった。そこでまた「リーダーの決定に逆らうなんて言語道断」「リーダーにはリーダーの計算があるのだから」とNGが出された。「すみません。生意気でした。」とりあえずリーダーにたてついてしまったことに関して謝った。ところが、yoneLが白湯鍋を作ろうと茶色い野菜袋からおもむろにキャベツを取り出したとたん、「キャベツ、デカっ!」とつい口が滑ってしまった。「あっいやっ、別に責めているのではなく、単に感嘆符でデカいと…」。どう見ても3人の山行で3泊目に取り出すキャベツとしては立派過ぎる。すると「んんっあれっ」少し首をひねるyoneL。「あっ、計画書ではキャベツ1/4個だったのに、1/2個持ってきちゃった。」「確かにこれは計画以上にデカかったね」

ということで、先ほどのリーダーへの反逆罪はいくばくか割り引いていただくことになった。キャベツをふんだんに使った白湯鍋が美味しかったことは言うまでもない。

槍穂の稜線の東側で、西風からは守られた場所に幕営したため、ブロックは作らなかったが、夜の内に東側からの風が強まり、谷側に寝ていたyoneLは寒かったようだ。

 

■1/2(土)強風とガス

三人とも寝過ごしてしまい、起きたのが6時、出発が8時に。

共同装備のポールやスコップの柄が抜かれ、「何にもないのも可愛そうだから」とスコップの先とお馴染みの肉類、野菜類の袋のみが与えられる。

幕営地を出て槍穂の稜線上へ出ると、いきなり猛烈な風。トップのyoneLについて行こうと中岳方面へ向かって登って行くが、口を開けた瞬間、着用していた目出し帽(薄手のファイントラックのもの)の布が風で口の中に押し込まれ、あまりの苦しさに目出し帽の開口部をあごの下に回してしまった。風に面食らって気持ちに余裕がなくなると、いつもの腹式呼吸も忘れてしまい、自分のペースが掴めないまま苦しい登りとなる。中岳に近づき、雪が深くなってラッセルになると、朝食に食べたおそばはとっくに消化してしまい、なかなか体に力が入らない。そんな私を気遣ってか、少し東側の山腹に雪をかき分けてスペースを作っていただき、しばし休憩。行動食を口に入れる。それにしても風はひっきりなしに吹き続き、息がつく暇がない。

中岳山頂直下のハシゴを下り、大喰岳に向けて所どころ岩が露出する斜面をさらに下って行く。ガスがますます濃くなり、yoneLが先に行ってしまってルートが分からなくなると、所々曽山Sが先導してくださった。天気がよい時ならばあっという間の中岳と大喰岳の距離が、遠いものに感じた。ルートの特徴上、左足が谷足になった状態でのトラバースが続き、風に飛ばされまいとアイゼンを履いた足で頑張り続けた為だろうか、左足首の外側の踏ん張りが利かなくなってきてフラットフッティングができなくなり、ますます不安定になってしまった。

とにかく風に飛ばされて稜線の東側の雪庇に乗りでもしたら命がないので、それだけを意識し、多少飛ばされても右に行かないように、ラインよりやや左側を歩くように気を付ける。

大喰岳の「キャンプ禁止」の看板のところに来たが、ルートを見失ってリングワンデリングしてしまう。曽山Sがコンパスを出して方角を確認して進むと、間もなくルートが見つかった。飛騨乗越の看板のある分岐の辺りも相変わらず猛烈な風だが、槍ヶ岳山荘が近いかと思うと気持ち的には安堵する。そこで曽山Sが私とyoneLの顔をチェック。「鼻や頬が白くなっている。凍傷になりかかっているから、目出帽をちゃんと着けて。」でも、手がかじかんで、あごの下に回した目出帽が掴めず、曽山Sに引き上げていただく。もう親鳥からエサをもらう雛状態。自分の無力さを思い知る。間もなく見慣れた肩の小屋のキャンプ場の段々地形になり、両手でピッケルを持ち、耐風姿勢のような姿勢をしながら登って行く。夏用トイレが近づいてきた所で、曽山Sから「この先は特に風が強いから気を付けて」とアドバイス。ほぼ着いたという安堵感と、ハンパないさらなる強風にたじろぎ、なかなか夏用トイレの壁際から離れられない自分をyoneLが引っ張って行こうとする。その手を振り払い、「自分で歩く」と言って意を決して槍ヶ岳冬季避難小屋へ向かう。

午後1時頃、避難小屋にたどり着いたときの素直な気持ちは「ひゃ~。生きててよかった」だった。「yoneL、曽山S、私が今生きているのも先輩方お二人のお蔭です。もうキャベツの大きさなんて、細かいことは言いません。未熟者の私を導き、支えてくださってありがとうございます。」と心の中で何度も感謝しながら、ラジオ体操のように腕を振り回していると、失われつつあった手の感覚が戻ってきた。鼻や頬も大丈夫のようだ。後で知ったことだが、yoneLは足に、曽山Sは頬に軽い凍傷を負ったとのことだった(靴には必ず防水スプレーをしましょう)。私から見ると先輩方は余裕に見えたが、寒かったのは私だけではなかったのだ。

この日の天候は、南高北低。南の高気圧と北にある低気圧の間で等圧線の間隔が狭くなり、稜線上の西風が強まったものと思われる。先輩方も「風速20m以上はあったかな。南高北低ってこんなに悪いのか」と話していた。小屋に入ってからも風は一向に止まない。日程的には下山を開始したいところだが、あの強風の中に再び飛び出すのは自分には無理だった。「風が止んだら穂先を登るか」という言葉も小屋の中にテントを張って落ち着くと立ち消えになった。

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翌日の3日の天気は回復傾向と思われるが、避難小屋には誰もおらず、我々のパーティのみ。この天気では今日登って来るパーティがいるとは思えないし、トレースは風で吹き消されてしまっているだろう。「下山に二日かかった場合、5日に出勤できない可能性があるので、電波が通じる間に会社や家族に連絡しておくように」と指示を受ける。AUのせいか電波事情が悪く、なかなかメールが送信できなかったが、スマホを懐に入れて温めながら何度かトライした末やっと送信できた。

こんなやりとりをしている最中も、小屋のどこかの立てつけが悪いのか、「バターン」という音が周期的に鳴り響き危機感を煽る。yoneLから「怖くなって来た?」と聞かれたが「全然」と答える。少し咳が出るが体調は悪くない、ガソリンがなくなったとしても予備のガスカートリッジはある。ホカロンもまだあるし、何より食糧は(yoneLのお蔭で)まだたっぷりある。下山日は遅れるかも知れないが、事実心配はしていなかった。

その日の夕食はソーセージとキャベツが(もちろん)たっぷり入ったカレー。相変わらずチーズやローストポークの前菜もあり、予備日とは思えない立派なメニューだった。

先輩方に「強風の中、どうずれば平然と歩けるんですか?」と聞いてみると、「風が来る方に体重をかけるようにすると、力を使わずにバランスが取れるよ」「そうなんですか~」と目からウロコ。「でもそのままの姿勢で風の切れ目が来るとバランスが崩れるので、そこは要注意」とのこと。

■1/3(日)快晴

ぐっすり眠れた。目覚めると風の音はまだしていたが、昨晩よりは間隔が大きくなっている。

下山ルートとして計画していた中崎尾根は遠回りなので、トレースが消えていたらかなり時間がかかる。飛騨沢上部をトラバースして大喰岳西尾根を下り、槍平から新穂高温泉へ下山するというルートに計画が変更された。

避難小屋から外に出ると、外は思ったより明るく、青空が広がっていた。風は強かったが、昨日に比べればだいぶマイルドだ。飛騨乗越までのわずかな間、昨晩お聞きした強風の中での歩き方を実践してみた。確かに風上に身を預けるようにするとバランスが取れる感じがする。「なんだー。もっと早くやっていればよかった」と悔しい気持ちになる。稜線から少し下ると、もう風は嘘のようになくなっていた。

飛騨乗越を過ぎて少しジグザグに下り、これから大喰岳の西尾根にトラバースしようかとしたその時、下から登ってくる人影が見えた。「助かった」。例年より積雪量が少なく雪崩の危険が少ないこともあり、私達は計画を変更しワカンに履き替えて人影に吸い寄せられるように飛騨沢を下って行った。

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トレースを着けて登ってきたのはスノーシューの単独行者で、1時に新穂高温泉を出て、日帰りで槍ヶ岳をピストンするという。かなりの猛者だ。とにかくトレースを着けてくれたことに感謝する。出発前の懸念はどこへやら。今日中、それもそんなに遅くない時間に新穂高温泉に下れる見込みが一気に浮上した。スノーシューのトレースのため、先頭のyoneLは歩幅が合わず苦労されたが、途中からワカンの人も登って来て、さらにトレースの状態は良くなった。強い陽射しのため暑くなり、沢筋が屈曲したところで休憩して皆薄着になった。

 

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槍平でアイゼンを脱ぎ、あとは長い道のりをひたすら我慢しながら歩いて新穂高温泉に15:00頃到着。タクシーで沢渡まで移動して、龍島温泉に寄って帰京した。

 

今回の山行は、体力、雪山での生活技術、歩行技術、あらゆる面で自分の未熟さを痛感した。とても胸をはって「横尾尾根に行って来ました」と言えるものではない。無理目な状態で参加してしまったことを申し訳なく思うが、貴重な体験をさせていただき、自分の経験値が広がったことも事実。先輩方の骨折りや気苦労を無駄にしないためにも、今後はきちんとトレーニングを積み、段階を踏んだ上でアルパインクライミングの山行に参加するようにしたい。

(記載のない写真はすべてyoneL撮影)


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