八ヶ岳 雪稜訓練

八ヶ岳

■日時  12月30日(金)〜1月2日(月)

■場所  八ヶ岳

■目的  冬山基本および雪稜訓練

■メンバー  ヨネ(L)、S山、タナミー、some2

■天候  全日とも晴れ

■ルート

12/31 赤岳鉱泉から硫黄岳登頂 大同心南稜脇のルンゼからの下降

1/1 阿弥陀岳北稜

1/2 赤岳南峰リッジ


■12/30,31の記録 記:some2

●八ヶ岳登山口~南沢~ 行者小屋

私にとって人生初の雪山登山です。アイゼン装着の必要のない快適な登山道歩きは、私には良い慣らしになったのでありがたかった。今日の行程は行者小屋までなので、荷物が多いこともありスローペース。何度目かの休憩の際、木漏れ日が射したときに見えたダイヤモンドダストがとても綺麗だった。憧れていた雪山の世界にやっと踏み入れたのだと実感が湧いてきて、少しテンションが上がった。

行者小屋到着後はテントを立て、早々に中でくつろいだ。皆さんたくさんのおつまみ、食料を持ってきていた。特にヨネさんがワイン3Lをザックから取り出した時は驚いた。山での食事は簡素なものという固定概念があったため、自分一人で山歩きをしていた時は、味気ないものばかり食べていた。山で酒を飲むのも肉を食べるのも初めてだったので、これがパーティでの山行、山岳会の山行かとカルチャーショックを受けた。次回の山行では持てる範囲で自分の好きなもの、食べたら元気が出そうなものをたくさん持っていこう。

行者小屋テント場

 

●行者小屋~赤岳鉱泉~硫黄岳~大同心南陵加工

本日より本格的に行動開始。この日は一日中風はなく穏やかな陽気だった。朝の準備ではゲイターやグローブなど装備が多く、私だけ手間取ってしまった。鉱泉についてハーネスを装着した際は、ハードシェルとオーバーパンツの上からだと私の持ってきたハーネスではきつくてうまく閉まらなかった。鉱泉から硫黄岳までの道程では、私のアイゼンのフィッティングがうまくできておらず歩行中にアイゼンが吹っ飛んでしまった。硫黄岳山頂では私の持ってきたライターは湿っていてがつかずお借りすることに。色々ご迷惑をおかけしました。冬山の装備はホント難しいです(笑)。装備の装着などに関しては手袋をつけて家で練習し、次回はもっとスマートにギアを扱えるようになろう。

硫黄岳の稜線の直下では、ヨネさんの提案でラッセルとロープワークのトレーニングをした。タナミーさんリードで私はビレイを担当。いままでフリークライミングのビレイしか経験のなかったので、確保器を使わなないビレイもあることを学ぶ。ラッセルもまた人生初の経験だった。膝をうまく使いつつセカンド以降が歩きやすいようにしなければならないのだが、やってみるとどんどん雪を崩してしまってうまく固めることができなかった。ラッセルに関しては、今回の山行全体を通していまいちコツをつかめなかったので、近々また雪山に行ってトレーニングを積みたい。

稜線に出ると一気に風が吹き付けてきた。ヨネさんによるとこれくらいはそよ風とのことだが、今までの樹林帯との差に面食らった。稜線に出る前に休憩と装備のチェックをすべきとのアドバイスの意味が理解できた。頂上直下ではツェルトでのビバークトレーニングを行った。座るスペースを作る、ツェルトを取り出して広げるといった作業を風の吹く中で行うのは結構大変だった。

硫黄岳-横岳稜線

その後硫黄岳山頂を踏み、しばらく稜線場を歩いてから大同心南稜脇のルンゼからの下降開始した。登山道との傾斜の違いに驚く。アイゼンワークに慣れていないので下りは結構怖い。クライミングシューズが段々馴染んで来るように、アイゼンも徐々に自分の足のように扱えるようになるらしいが、まだ道のりは長そう…。

大同心南稜脇からの下山

🔴所感

今回は初めての冬山だったのでイメージが湧かず、装備をそろえるのがとにかく大変だった。グローブなど、いくつかギアの購入で失敗もしてしまった。事前に先輩方にもっと相談すべきだった。それでも今回の山行を通して事前に準備すべき装備や、山行中はどのように行動すべきかなどイメージできるようになったので、次はもう少しうまくやれると思う。今回は教わるばかりになってしまったが、次回の山行では荷物をたくさん背負う、ラッセルを頑張るなど何かパーティに貢献できるよう頑張りたい。

また、今回は山行を通してずっと好天だった。初経験の身にはありがたかったが、次回の山行では(少し怖いが)荒れた天気も経験してみたい。


■1/1,2の記録 記:タナミー

⚫︎阿弥陀北稜 1/1 晴れ一時ガス

06:15行者小屋 > 08:50JP > 12:00阿弥陀山頂 > 13:40行者小屋

まだ明るくもなっていないころ、行者小屋を後にした。「文三郎道を進み、途中で右に、・・・」というトポのアプローチでなく、行者小屋から直接にジャンクションピークへ向かう稜線へ適当に山に入っていき、ラッセルとルートファインディングのトレーニング。ここにして初めの教訓があった。ラッセルするのだから、邪魔なギアはつけないことだ。アイゼンとハーネスをしっかりつけたタナミーはスリングが木の枝に引っかかり邪魔な思いをした。コンパスを合わせてそれに従って行動する都いうことも初めてだった。こういうときの注意点は、大きな岩や強傾斜を迂回すると方向がぶれることだ。こまめにコンパスをチェックする必要がある。

阿弥陀北稜のJPあたり

ジャンクションピーク辺りに差し掛かると、一帯がガスに包まれた。「天候急変か?」とヨネさんだけが考え、ぼくらに行動を急がせていた。今思えば、その時点でそう思えなかったのは、考えが足らなかったと思う。

ガスに包まれた雪稜のピッチでは、タナミー自身は登れると思いすたすた進んでしまったが、初めての雪山のsome2が安全に登れるかどうかに考えがいかなかった。ロープを出すか出さないか、リードの確保をするかしないか、確保器を使うかイタリアンヒッチか、フォローの確保をどうやるか、など判断する場面であったのだ。ヨネさんの指摘のもとに、スタカットで雪稜ピッチを登ったが、上から見下げたら「あ、落ちたら終わりだったな」という傾斜だった。

第1岩峰に着いたころには、天気がころりと変わり、雲ひとつない晴天になっていた。タナミーはそのままリードしたのだが、アイゼンでのクライミングの難しさを知った。傾斜は90度はなく、ホールドもそこそこあったので、平時に変わらない心境で登り始めたのだが、スタンスが目視できないことが分かってから、恐怖を感じ始めたのだ。最初のランナーをクリップしたあとにクライムダウンして、リードをヨネさんに交代してもらった。フォローでも、やはりスタンスが見えないことに恐怖を感じた。

我々が岩稜1P目を終えたころ、後ろからガイドのパーティが登ってきたが、当日の北稜はかなり悪いとのことだった。その1週間前に降った雨のおかげで、豊富にあるはずのホールドに氷が張っていて、使えなくなっていると教えてくれた。

岩峰が終わったあとの雪稜で、ソフトなスタカットのやり方を指導してもらえた。今までフリーが主体で確保器を使ってのビレイが染み付いていたので、肩絡み・腰絡み・スタンディングアックスビレイなどはとても新鮮だった。雪上訓練でやってはいたが、そういう場面に遭遇したのは初めてだった。

阿弥陀岳のピークにて一本入れながら、ホワイトアウトのときの下山で道迷いしやすいことを教えてもらった。

阿弥陀岳から中岳のコルへの下りでショートコンテの練習をさせてもらせた。夏の屏風岩のルンゼ下りでもやったが、足元がおぼつかないことや技術のことを知らなかったので数メートルでやめたのだが、雪上であると足元が岩稜より安心できるので続けられた。通称ガイドコンテと言われるくらいの高難度技術なので、実際にはやらないとは思うが、こういう技術があることは知っておくのも必要かと思う。

中岳のコルあたりから適当に雪稜を降るトレーニングをした。締まった雪面に足をフラットにおくには、山側の横刃をおく、膝・足首を回して谷側の横刃をゆっくりと下ろす、というのが、some2にも分かってきたようだった。

樹林帯まで降りてきたところで、ビバークを想定してツェルトを広げた。避難訓練もそうだが、やってみて初めて気づくことはあるものだ。ツェルトは意外と外部との遮蔽がしっかりしていて、静かで温かいのだ。

中岳沢を滑落停止の練習をしながら降りて、行者小屋には14時前には戻れた。

 

⚫︎赤岳南峰リッジ  1/2  晴れ

06:00行者小屋 > 07:45文三郎道と離れる > 11:40赤岳山頂 >(地蔵尾根)> 13:40行者小屋15:00 > 17:00赤岳山荘

周りがまだ暗いときから文三郎道を歩き出し、数分経ったところで「ヘッドライト切って」と言われライトなしで歩き始めた。目が慣れるまでは怖い気持ちもしたが、慣れてくれば問題なく歩けた。このトレーニングのポイントは登山道ではないトレースに気が付けるかどうかだった。足元近くの一般登山道のトレースは暗くとも悪天でなければ分かるもので、それ以外のわずかな情報も見逃さずに歩けるかというところにある。やはりこの手のトレーニングは、トレーニングとしてやっておくべきだと思う。

文三郎道の傾斜が強くなり森林限界が近づいてきたあたりからは、赤岳西壁主稜、南方リッジへの取り付き方を地形を探りながら登った。どのラインが登りやすいか、そのルンゼに降りるには文三郎道のどこから降りるのが自然か、などトレースや人の情報に頼らずに、その場の条件のなかで自然なラインを見出す能力が必要だと思った。

南峰リッジへの取り付きはトレースがあったので、あっけなくアプローチがわかってしまった。けれども、1p目の雪稜のやり方がイマイチよく分からず、時間がかかった。ハイマツに雪がついた斜面で、丈夫な立木やピナクルがあるわけでなく、プロテクションに困った。プロテクションとして掘り起こすというのはなかなかのアイディアだと思ったし、ピッケルのブレードの”正しい”使い方も知った。またピッチの切り方にも困った。滑落してしまうような傾斜でないから強固な支点を見つける必要がない、というのが正解だった。2ピッチで岩稜の基部につくことができた。

ヨネさんのレクチャーが始まる

3p目からは、小さなルンゼを横切り、南峰リッジ左稜と呼ばれる岩稜をスタカットで登った。ピン・ボルトが皆無なルートでどうやってプロテクションを取るかといえば、ピナクルにスリングで取るのは知っていたが、ちょっとしたリッジをまたいだら、リッジにロープを回して摩擦を利用してプロテクションにすることを知った。このピッチで7,8メートルの岩峰の基部まで進んだ。

4p目は岩峰の基部にあるゴルジュ帯が核心となった。ここにだけハーケンが打たれていてクライミングとしても難しいものとなっていた。ステミングしながらピッケルで凍りついたホールドをかき出したり、ガバホールドにぶら下がったり、などクライミングとなった。ゴルジュを抜けたところのフォローが見える位置でピッチを切った。

このゴルジュを抜けると山頂までのラインがよく見えた。単なる傾斜面なのだが、傾斜が強目、プロテクションになるようなピナクルやリッジも乏しかった。この5p目はヨネさんがsome2をショートコンテで登り、タナミーはフォローになった。

小さなリッジでビレイ中

山頂まであと5mのところで6p目を切ることになった。フォローのsome2をビレイし、そのまま山頂まで先に登ってもらった。

山頂についたのは12時まで登山者が、文三郎道から、地蔵尾根からとたくさん登ってきていた。山頂に長居しても寒いだけなので、ロープをたたんでギアを整理してささっと下山となった。

赤岳の北峰ピークから 北峰リッジルートを偵察

山頂から赤岳展望荘へ下り、地蔵尾根から行者小屋に向かった。アイゼン歩行が慣れていないと怖い思いをする傾斜が続いていたが、some2も問題なく降った。階段が終わった後「下にある左に向かう尾根から降りて」とヨネさんトレーングが始まった。右に向かえばトレースばっちりの登山道なところだが、、、。樹林帯に入る手前でアイゼンとギアの整理をし、一応コンパスを行者小屋に合わせて下っていった。樹林帯を少し歩くと、日陰に小さな沢筋があった。樹林帯での小さな沢は降るルートとして好都合。雪の深さもないし、なにより邪魔な樹林がないのでサクサクと降りられるのだ。

 

 


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