谷川岳 一ノ倉沢 2ルンゼ~Aルンゼ

L:江原・池永・有墨(記録)・近藤

緑の現役として最後に一の倉を登ったのは平成元年3月の中央稜。以後大分の地で17年間仕事(と酒?)に明け暮れる日々を送っていた。 直近は、体力やブランクの長さから、もう一の倉に行ける実力は無くなってしまったのでは?などと思っていた。 そう思いながら緑で活動していた当時を振り返ると、烏帽子奥壁、衝立、コップは何度も登ったが、2~5ルンゼや中央奥壁等、 歴史ある一の倉の中心部に足を踏み入れないで終わっており、 谷川を正面に見据えた写真を見たときに左半分を残したままになっている様で片手落ちの感がしていた。

今回、週末にからんだ東京出張のチャンスに、池永氏にお願いし、 緑の山行として2ルンゼから滝沢上部Aルンゼへのルートへチャレンジする機会を得ることができた。 現役会員の江原リーダーと近藤君、OB池永氏と有墨の2パーティーで当ルートへ向かった。

9/2

一ノ倉沢 2ルンゼ~Aルンゼ 4:30登山センター起床。前日1:00頃の就寝であり、特にその前の日も出張前の残務処理で徹夜状態の私には気合を入れての起床であった。 一の倉出合迄江原車で向かい、6:00出発。 もう秋のはずなのにヒョングリの滝は出現しておらず雪渓通しでテールリッジ迄到達。過去、 「ここでザイルが必要な奴は帰れ」と言われていたⅢ+のスラブにはしっかりした固定ロープが設置されていた。 ためらわずロープを掴んで登る。南稜テラスから本谷バンドへは、江原リーダーがセットしたザイルに懸垂下降の形でセルフビレイし到達。 遠い昔、池永氏と3スラを登った際はノーザイルで行き、「ここで足を滑らせたら死ねる」と思いながらトラバースした記憶が甦り、 改めて「生きててよかった」などと思ったりした。8:00前に2ルンゼ取り付きに到着。

8:00より江原・近藤、池永・有墨で登攀開始。

1P:チョックストン状を越えてルンゼ内を行く。
2P:ルンゼ内を登攀
3P:脆く崩れた部分をチムニー状に登った。特にこの部分は脆いため落石が多く、先行パーティーが要る場合は注意が必要。
4P:フェース登り。ルートガイドにはグレード等詳細に解説されているが、実際登ってみると沢の滝登りの様で、ルートガイドのラインが良く判らない。ピンに導かれて淡々と登る。
5~7P:沢の源頭の様な登攀を実施。最後、石門を抜けて滝沢上部を見渡すザッテルに到着。既に12°頃になっていた。

ザッテルはルートガイドにも記される様に、陰鬱なルンゼから一変して滝沢のA~Dルンゼ、 各スラブが見渡せる素晴らしい景観であり、来た甲斐があったと感慨する。沢から懸垂で滝沢の水流(と言ってチョロ水)迄下降し、 行動食と水分を補給した。

小休止後Aルンゼへ向かう。ドームとマッターホルン状岩壁の間の秘境に向かっていく様な感覚だ。 Aルンゼに入ると塗れた岩と草付きの滝が連続し、ルートガイドが紹介されていないにも関わらず2ルンゼと難易度は差が無い感がある。 淡々と滝を順に越えていくとドームとマッターホルン状岩壁の間を通過。そろそろザイルを解けるのでは?と思うのは甘く、 チョクストンを持った小滝に当たり簡単と思いきやもがき苦しんで乗越す。(私はA0しないで登ったが、皆さんに褒めて頂いた。)  最後に正面の壁に突き当たり、左側のフェースを登ったところで枝尾根に出る。この後草付きだが、後続OB隊はルートを見失い、 時間を掛けて東尾根に合流する。17:30に既に稜線に到着していた江原・近藤パーティーと合流、記念写真を撮った。

私は、未踏のルートを制覇し大満足である。小休止後下山開始し17:50頃指導標を通過、 西黒尾根を下降した。西黒はこんなに長かったかと思いながら暗くなった登山道を下り、19:45江原・有墨が登山センターに到着。 疲れ気味の近藤氏と付き添った池永氏は22:00頃到着。

曽山代表、多久和さん、小保方さんと合流し、 ビールはもちろん越の寒梅やら40度日本酒やら焼酎やらでスキ焼をつまみに豪華な酒宴を開いていただいた。 私は17年振りだったが、人間そう簡単に変わるものでは無く、17年前と同じ感覚で飲めたのは嬉しい限りでした。 12:00頃就寝。私は、昔と変わらないいびきを披露した。


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