小野川 正股沢 

東出(記録)、徳永

12/27晩発の急行アルプスで上松へ向かう。ルート選択と計画書提出は小生がやった。切符は小生が手配し、上松からのタクシーも小生が予約。食料も小生が準備。徳永はついて行くだけという、まるでガイド山行だ。12月は本チャンのアイスルートを2本計画していたにも拘わらず、「絶対行きます」と宣言していた徳永の「試験勉強が」という裏切りにあって、すべて流れてガックリしたが、「年初にテストが」とブツブツ言っていた徳永が合宿に入ってくれたおかげで、今シーズン初の本チャンに来れたので、まずはめでたし。3泊4日で、正股沢から宝剣経由で奥三ノ沢継続という強行プランで入山する。

上松着7:48。ほかに登山客がいるかと思って、予めタクシーを予約していったのだが誰もおらず。芦島キャンプ場まで入り、足ごしらえ。8:30発。林道が途中で工事中迂回となっている。工事はしていなかったが、迂回することにした。ホキな高巻きの迂回路で、結構ダルい。途中、左岸から沢がいくつか入り込んでおり、どれが正股沢なのか分からず時間を食う。結局、正股沢の出合着11:00近く。沢に入ると、本流が伏流になっており、これに惑わされて左の支流に入ってしまう。相当詰めてから引き返し、途中で尾根をトラバースして本流に入ったころには正午を回ってしまった。F1着13:30。気温が高く、手袋なしでも作業できるほどだったが、F1から先はきっちり結氷している。ところが、荷物を担いでの登攀に不慣れなセカンド徳永のペースが遅い。1本登って、セカンドを待つこと1時間という感じだ。結局、当日は核心の大滝までも辿り着けず、最初のゴルジュ内でビバーグ。幸いゴルジュ内でも、幕営地は数カ所あり。

翌日、やや寝飛ばして7:30出。大滝は中間部で5mほどバーティカルぽい部分があったものの、なんということはなくクリア。しかし例によってセカンドを待つこと1時間という状況だ。楽勝で麦草岳に抜けれるかと思いきや、第2のゴルジュを抜けて、詰めに入ったところで日が暮れてしまった。源頭部に入る手前には良い幕営地があったものの、その先は行けども行けども倒木とゴーロが続き、しかたなくそのまま突っ込む。水線が消えるまで河床に水が流れており、上に雪が乗っているため、非常に歩きにくい。結局その日は樹間にテントひと張り分のスペースを何とか確保して幕営。

オクサンは来年の課題と消えてしまった。悲しすぎる。翌日、天気だけはやたら良い。さらに沢を詰める。麦草岳直下には「地獄のハイマツ帯」なるものが待ち構えているらしい。適当なところで真北にトラバースするような形で逃げなければならない、と頭では分かっていつつも、頂上直下で視界が開け、頂上が見え始めると、ついそっちへ足が向いてしまう。結局、地獄のハイマツ帯に突入。中間部でかなりハイマツが邪魔であったが、地獄というほどではない。上部はほとんど気にならない程度にマツが寝ている。麦草の頂上着11:00頃。徳永は待てど暮らせど来ず。仕方ないので様子見に下る。はるか下に姿を確認したところで引き返し、先に、木曾前岳へと続く登山道へ進む。標識には「登山道(難路)」とある。ロープは出さないにしろ、クライムダウンが必要な急斜面や、北股沢側の大崩壊跡など、登山道というには、ややホキている。勿論トレースもない。崩壊側と反対の斜面はブッシュの生えた雪面だが、雪がたまるのか股下くらいのラッセルだ。ラッセルと、切れ落ちた崖を交互に行きつ戻りつしながら前進するが、時間がかかる。徳永は30分ほど後をついてきている。事前準備からラッセルまで俺か。

木曾前岳まであと一歩というところで日が暮れてしまう。徳永が遅れているので、適当なコルを見つけて切り上げる。母ちゃんには「大晦日に必ず帰る」と断言していたにもかかわらず、結局帰れず。18:30幕営。元日、日の出前に発。木曾前岳にて初日の出を拝む。天気だけは相変わらず良い。上松Aコースへとトレースあるも、木曾側には他にトレースなし。木曾駒ヶ岳経由で千畳敷へ。宝剣の岩場を登っているらしきパーティーもいる。

ホテル着10:30。時間を食った割には、登れたルート1本だけと、やや寒い合宿であった。

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