冬合宿 槍ヶ岳・北鎌尾根 2001.12.29.~2002.1.2.
メンバー:CL広島、SL内田、江原(記録)
12月29日 急行アルプスにて出発
当初は28日夜に出発予定だったが、仕事が多忙な内田さんに合わせて29日夜の出発に変更
した。新宿駅には翌日帰省する大林さんが見送りに来てくれた。(ありがとうございました。)ま
たホームでOBのAさん(僕は初対面でした。)にお会いし、偶然に電車もルートも同じことが分
かった。お互いの完登を祈って乾杯したがこの時点で信州方面の天気予報は芳しくなく長野市
では年始まで雪だるまが並んでいた。
12月30日 雪
予約してあったタクシーで信濃大町駅から葛温泉まで、そこからトンネルの多いだらだらとした
登りを高瀬ダムへ向かう。途中七倉の指導センターで今年北鎌に入っているのは30人程だと
聞かされた。ここで先行パーティーに追いついたので以降の行程は僕達が先頭になった。
今日のうちに千天出合まで行きたいという広島さんの希望で鉛色のダム湖をわき目にせっせ
と歩いた。変化に乏しい風景と雪道の静けさに思考停止状態、足だけ動かす。前を行く内田さ
んは歩きながらも眠くなるらしく時々立ち止まって頭を振っている。登山道に入ると林の中では
ハッキリとした踏み跡の上に10cm程度、河原の部分では踏み跡が消えヒザまでの積雪だっ
た。「アップダウンが少なくて、川沿いの林を歩くところが上高地に似ているなぁ。槍に向かうの
も同じだし、これは裏上高地だなぁ。」などと半分眠った頭でぼんやり考えていると硫黄の香り
がして湯又についた。避難小屋と夏の宿泊施設、小さなダムがある湯又は河原に木がないた
め予想外に広々とした印象を受けた。そしてその広く開けた空間を埋めるように落ちてくる雪
はトンでもない量に思えた。
湯又、千天出合間にある渡渉やヘツリを北鎌の「核心」と書いている本もあるので多少緊張し
て湯又を後にした。広かった沢はグッと狭まり上部には氷瀑が見られるようになった。結局問
題となりそうなのは渡渉3回、丸木橋1箇所、不安定なヘツリ2箇所だったが、それぞれ飛び石
や固定ロープで難なく通過できた(他の2人は…)。僕は飛び石失敗2回、沢への転倒1回、転
倒の際にはオーバーグローブを破くおまけ付き…。薄暗くなるころ千天出合に到着した。先着
のテント2張りがあったが撤退途中のパーティーのようだった。夜のキムチ鍋はなかなかうまく
出来た(自画自賛)。
12月31日 晴れ 稜線上は風あり
千天出合から千丈沢沿いに30分ほど進むと北鎌(P2への登り)の取付に着いた。尾根に出
るまでは樹林帯の急登だが、取付から先には先行パーティーがいたため楽が出来た。尾根の
向きが変わり、ビバークサイトがあるところの下に1箇所凍ったガレ場のような悪いところがあ
りザイルを出したが丁度先行パーティーに追いつき、さらに懸垂下降をする撤退中のパーティ
ーがあったため通過に時間がかかった。P2の前で再び先行パーティーに追いついたが撤退
パーティーの踏み跡がなくなったために胸までの積雪がある急登で苦労していた。ちょっとした
ルンゼのようになっているその場所は特に雪が多いようだった。
ラッセル代わるとやっと「山を登っている」という気分になった。登りは続き積雪は腹くらいだが
多少きつくても先行パーティーでいる方が気分が良い。思いがけず晴天だったので高度を上
げるにつれて表銀座の稜線も見えてきてなおさらだった。P3、P4はアップダウンも小さく難なく
過ぎた。
P4を過ぎると大きなコルがありテントを張った跡があったが、進めるだけ進もうとP5へ向かっ
た。P5は天上沢側から巻くとの情報だったため最初に目にした支点でザイルを出して左に巻
き始めた。が、これはどうやら早く巻きすぎたらしい。北鎌のコルまで行きたいという焦りがあっ
たからなのか?後から思えば稜線上をよく観察するべきだったし、(広島さんが言ったように)
稜線の右側も確かめるべきだった。とにかく稜線を離れた途端に胸を超える雪に埋まってしま
い、さらに進んだ先で岩場に行き当たってしまった。雪を被った岩場でトップの広島さんはしば
らく頑張っていたがやがて戻ってきた。深雪の中でザックの外に付けていた銀マットは落として
しまうし、風も強くなって来ていた。何となく意気消沈して4・5のコルまで戻りテントを張ることに
した。
コルまで戻ると1パーティーが既にテントを張っており、続く後続パーティーの到着と我々が戻っ
たのがほぼ同時だった。タッチの差で風下側の適地を押さえられてしまい、僕達は吹きさらし
にザイルでテントを固定して新年を迎えることになった。
1月1日 雪
前夜レコード大賞、紅白歌合戦とハシゴしながら10時まで待ち天気図を書いたが、北海道上
空と日本海に発達中の低気圧があり悪くすると「2つ玉」になりそうで先行きは暗かった。広島
さんは何も言わずに就寝したが起きるとすぐに悪天候と予備日の不足を理由に撤退すると言
った。稜線上は相変らず風が激しかったし、その後続いた悪天候と槍ヶ岳の肩で11人が小屋
に閉じ込められたことなどを考えると正しい判断だったと思う。
下りは早くすぐに樹林に入った。稜線の風がウソのような穏やかさで「コレなら進むべきだった
のでは…」という思いが早くも頭をよぎる。そんな迷いをあおるようなパーティー、悪天候を承知
で進むという東北の4人パーティーとすれ違った後、Aさんが登って来た。信濃大町駅で別れて
以来のAさんの気持ちも撤退に傾いているようで天気に関する情報を交換した後「P4くらいまで
行ったら戻ってくるかなぁ。」と言いながら登って行った。これより先は登ってくるパーティーとす
れ違うこともなく迷いを振切るようにグングン下った(登りでザイルを出したところから4回懸
垂)。下山ということもあり特に目的地は定めていなかったのだが、高瀬ダムの末端から30分
ほどの名無避難小屋を目標にすることにした。
千天出合、湯又間も2回目ということもあり問題なく通過した。個人的にはアイゼンをつけてい
るほうが渡渉でもヘツリでも動きやすいように感じた。
名無避難小屋は薪ストーブのある土間と畳6畳の居間(?)を板戸で仕切った作りできれいだ
った。薪ストーブの点火は早々にあきらめたが(煙突が雪で埋まってしまったらしい)、外には
水の取れる沢もあって前夜とは比べ物にならない環境。予定外のうどんを食べて酒を飲み昼
寝をした。
夕方Aさんのパーティーを含む3パーティー(2人×2、5人×1)が撤退してきたが狭い小屋に
は入りきれず結局我々とAさんたち5人で小屋を使わせてもらった。撤退は残念だったけれど
畳の上での正月は予想外の幸せだった。
1月2日 雪
依然として降る雪の中、この日も一番で行動開始。ダム沿いの林道歩きとダラダラとした車道
の下り(足が痛い)に嫌気がさす頃、葛温泉に到着した。
露天風呂に首まで浸かると北鎌ははるか彼方に感じられた。
行動記録 (到着時間と場所)
12/30 5:00信濃大町、6:10葛温泉、6:50七倉、8:10高瀬ダム上、10:05名無避難小屋、11:40湯
又、16:20千天出合
12/31 7:15千天出合、8:00P2取付、10:451945m、12:33P3、13:10P4、15:00過P5下部、16:10
4・5のコル
1/1 7:204・5のコル、10:00P2取付、10:35千天出合、12:45湯又、14:15名無避難小屋
1/2 7:30名無避難小屋、9:10高瀬ダム上、10:20七倉、11:20葛温泉
東京緑山岳会
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